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日蓮宗総本山 身延山久遠寺

正式には身延山妙法華院久遠寺といい、鎌倉時代の文永11年(1274)鎌倉を追われた日蓮聖人が
草庵を結ばれ、その後弘安四年(1281)十間四面の大堂を建立し、妙法華院久遠寺と名づけました。
日蓮聖人は翌弘安五年十月十三日、現在の東京大田区池上において、61歳の生涯をとじられました。
ご遺言により、ご遺骨は身延山に運ばれました。爾来身延山は全国日蓮宗信徒の信仰の中心として、
多くの参拝者の絶えぬ山となりました。
四月初めの枝垂桜は大変有名で、連日数万人の人で賑わいます。

拝観は無料。 1時間くらいで諸堂を拝観することができます。

 

 

総門

R52より身延山へ入る道に建つ門で、「総門」と呼ばれています。
正式には開会関(かいえかん)といいます。
開会とは、「全てがひとつのもの」ということで、「ひとつのもの」とはお釈迦様を指しています。
つまり、この門をくぐって仏様の世界へ入って行くことになるのです。

 

 

三門

明治40年に建てられた総欅造りの門で、身延山の正門です。
間口約42m、奥行き11m、高さ22mの大きさで、関東三大門のひとつに数えられています。
左右の仁王尊は鎌倉時代の作と伝えられています。
なおこの三門をくぐった左手に建つのが正法院竹之坊です。

 

 

菩提梯(ぼだいてい)

三門をくぐると石畳の道がまっすぐに杉の大木の間を上がっています。
その先にある287段の石段が菩提梯です。
この石段を登ると久遠寺の大本堂の前に出ます。
「菩提」というのは「覚り」のことで、この石段を登ると覚りに到達できるという意味で、
高さおよそ100m、全体が「南無妙法蓮華経」の七字にあわせて、7つに区分されています。
体調の悪い方や、お年寄りには石段脇に「男坂」、「女坂」のふたつの坂があります。
また、迂回路により、車で久遠寺まで上ることも可能です。

 

大本堂

菩提梯を登り切った正面にそびえる建物が久遠寺の本堂で、全国日蓮信徒の信仰の中心です。
久遠寺本堂は明治8年、塔中の火事が飛び火し、山内の諸堂とともに、焼失しておりましたが、
昭和60年、全国の寺院、信徒の浄財によって、みごとに再建されました。
中に入って天井を見上げてください。日本画壇の重鎮、加山又造画伯の描いた
すばらしい「墨龍(ぼくりゅう)」を見ることができます。

 

祖師堂

日蓮聖人をおまつりしてあるお堂で、正式には「棲神閣(せいしんかく)」と呼ばれます。
「棲神」とは、日蓮聖人の魂が棲むところの意味です。
江戸時代の優れた建築で、平成6年に8年がかりの大改修が完成しました。
塗り変えられた朱が朝日に映えるとお堂の前の枝垂桜の巨木とともに、
身延山で一番美しい姿を見せます。

境内にはその他多くの建物が並び、初めて訪れた人は山の中にこんな広大な寺があることに
驚かれると思います。

 

御廟所(ごびょうしょ)

「たとえ、いずくにて死に候とも、墓をば身延山に建てさせ給へ、未来際までも心は身延に住むべく候」
との、日蓮聖人のご遺言により建てられた御廟で、八角の美しい塔の中に五輪のお墓が入っています。

御草庵跡

御廟の塔の左下に広がる十間四面の玉垣に囲まれた地があります。
日蓮聖人が身延山に入られ、九ヶ年を過ごされた土地で、久遠寺発祥の地です。

 

奥之院 思親閣(おくのいん ししんかく)

久遠寺の奥之院で、徒歩では2時間程かかりますが、今ではロープウエーで7分で登れます。
日蓮聖人が遠い千葉県に住む御両親を追慕する為、山頂より東の方を拝せられたと伝えられ、
親を思う閣と名付けられた霊場です。

 

七面山 敬慎院(しちめんざん けいしんいん)

1000人もの人が泊れる施設をもつ信仰の山で多くの参拝者の修行の場となっています。
春と秋の彼岸の中日に富士山の頂上より昇るご来光が有名で、全国の富士山写真の愛好家が
この時期大勢集まります。


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